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今回のいいとこみっけ

福光に住む人々を見守るようにそびえる医王山。人々もまた、朝日や夕日に映えるその山並みを仰ぎみて暮らしてきました。共存しながら生活には切り離せない一部分となっている医王山。今回のいいとこみっけでは、医王山の自然・文化・登山にスポットをおき紹介します。

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いいとこみっけ
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(2002.06)



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医王山山麓で生活する住民は山の自然によって培われ、山の資源を活用して生活してきました。
ゼンマイ、ワラビ、ススダケ、ウドなどは春の山の幸として、ジネンジョ、アケビ、ヤマブドウ、キノコなどは秋の山の幸として古くから食用化されていました。 木材は燃料として薪や木炭、建築用として杉、松、ケヤキなどが利用されました。 山あいを伝って流れる清水は、飲料水のほか、農作物の栽培に欠くことのできないものとなっていました。

 
山祭り

山の資源によって恩恵を受ける医王山山麓に住む人々のあいだで、感謝を捧げ行われていました。毎年2月9日と12月9日を定めて、この日は、各家々で床の間にのこぎり・おのなどを飾ってお神酒を供え、赤飯を炊いてごちそうし山々の安全と無事息災を祈りました。
山をたくさん所持する家などでは、親戚や山仕事に従事してくれる人夫(出入人)を招いて歓待しました。
この行事はいつ頃から始まったかは定かではありませんが、昭和初期まで続けられその後、次第に衰微し、最近では山林に関係する家や木材を取り扱う家に限られて行われているようです。
素朴な住民たちが、山の神罰を恐れる一方、山林資源に対する恩恵に感謝する表現なのか、集まった人々は、酒を交わしながら、楽しく一夜を過ごすことになっていました。
 
山行き

毎年4月25日は、法林寺の光徳寺で恒例の蓮如忌が行われていました。それにあわせて、寺の後ろの山の小高い所へ近くに住んでいる老若男女が酒や肴を持ち寄って、楽しく1日を過ごすことになっていました。
この頃になると、山には木々の新緑が萌え、暑くも寒くもない季節であり、農家も苗代の種まきがひと段落した頃とあって、山の中は人々でにぎわいました。


この山行きはいつ頃から始まったか不詳ですが、昭和30年頃まで西太見、広瀬、広瀬舘、石黒、福光地区で続きました。
これと同じ山行き行楽は、西麓の二俣集落にもありました。本泉寺に集まり、裏山で午後の半日をゴザを敷いて楽しく過ごすことにしていました。また、山行きに集まった娘たちと見る嫁探しの場でもあったといいます。昭和20年代後半より衰えました。
 
山の神

山頂付近の雪は5mも積もり、山麓でも2.5mに及ぶ白銀を頂いた医王山の尊厳さは、住民にとって神が宿る山と信じられても不思議ではありません。遠く彼方から聞こえてくる風音、大きなうねりも、山神の雄叫びと受け止め、子供たちをなだめました。
夕日が真っ赤に沈むのを眺めて、神がしずまると信じ、朝日の昇るのを神の恵みと信じていました。
奥医王山山頂と、白兀(しらはげ)山頂には祠(ほこら)があり、どちらも山の神が祭られています。また、国見峠には昭和中期頃から福光宇佐八幡宮の分神が祭られていますが、登山者の頂上を極めた誇りと安らぎが祠や神社を通じて伝わってきます。
 
雨乞い(あまごい)

医王山山麓には、水不足に悩む集落が多く、日照の続く年など水争いが度々起こりました。この地帯は谷あいの小川を頼ったり、湧き水を求めて農耕を繰り返していましたが、次第に人が増え耕地も開拓されてくると、それに要する水も不足しました。
小坂村では干ばつが続くと網掛の蛇谷川上流にある風洞に行き、お神酒を供えて雨乞いをしたといいます。
小山村では、水上の集落と争いが絶えず、嫁のやり取りも行われなかった時代があったといいます。
祖谷・小山・天神・山本・法林寺・岩木・福光村は、在所の神社に集まって雨乞い祈祷をしましたが、それで足りず、村の主などが、縄ヶ池や医王山の大池へ行き祈祷しました。
二俣村では、日照が続くと医王山の大池へ行き、ここで祈祷し雨乞いをしました。これには奥新保・砂子谷・荒山の人たちも参加しました。
菱池村は、もとより天然池がありましたが、これだけでは足りず人工池も造られました。しかし、山の中腹を開いて天然水を利用した湿田は、適度の降雨に頼らざるを得ないので、干ばつの年になると、神社に村中の農民が集まって祈祷しました。逆に医王山に雲がかかり雨が降ると、雨降り盆といって、半日農作業を休んで祝いました。

福光地方は、昭和42年に小矢部川刀利ダムが完成してからは、水利状況も一変し、農地も改良され、雨乞い行事は遠い昔の夢と化しました。

 
山での忌みごと

それぞれの地域や村には、山に入ってやってはいけないことや、入山に際して避けるべきことが幾つかありました。

舘村では、女は山の中で座ってはならないと言われていました。座ると蛇が体に入るのを恐れたからです。また、女・子供は山へ行っても手のひらの筋が見えるうちに帰ってくること、もしこれを守らないと天狗がさらっていくと教えれられていました。
二俣では、葬式のあった家では山を汚すと信じられていたということで7日忌が済むまで山に入ってはならないと言い伝えられました。
田島では、山へ弁当を持っていくとき、箸は山の木の枝を折って作るので、箸を持っていかなかったといいます。
香城寺では、いつ頃かは定かではありませんが、医王山は女人禁制とされていたと言います。

 
忌まれている場所

医王山には数多くの寺があったと言われています。寺跡や寺の名称が分からない屋敷跡と思えるところが多くあります。これらの近くでは用便やたんやつばを吐くことを戒められていました。
有縁寺跡などは、正月1日の夜になると鐘の音が聞こえてきたと言い伝えられました。また、惣堂跡・正権寺跡についても、気持ちの悪いところとして人々は疎遠にしていた場所でした。
 
妖怪

山には天狗がいた、鬼が出た、大蛇が住みついて人々を迷わすという言い伝えは、医王山には案外少ないようです。
しかし、板ヶ谷八幡宮境内にある6本に分かれた大杉(金沢市文化財指定)や、広谷の大杉(旧福光町文化財指定)には天狗が住んでいたという伝えが残っています。
また、医王山の大池には大蛇が住んでいて、城端の縄ヶ池と通じているとも言われています。日照が続くと、この池に雨乞いをするのはこのためです。
大蛇は誰も見た人はいませんが、池の付近が細長く濡れていることがあって、これは大蛇が通った跡ではないかということでした。大正中期には、医王山へ山菜取りに出かけた老婆が山道を歩いていると、道を横断して大きな木が倒れているので、それをまたいで通ろうとしたところ、その木がスーッと動いて草むらの中へ去っていったといいます。
 
天候の予知

医王山東麓の福光地方では、医王山の山頂に雲がかかると雨が降り、夕焼けがきれいなときは、次の日は晴れと言われていました。秋の農作業など、天候に支配されることの多い場合は、常に医王山を眺めて作業をしました。
秋には山野鳥が冬場の餌として保存するために、木の枝にカエルやドジョウを挿しました。この挿してある位置が高いと大雪になり、低いとあまり雪が降らないと言われました。鳥は雪が積もっても取れる高さに挿すので、積雪のめやすになるとされていたようです。
 
まじない

広瀬舘の湯浅直之所蔵古文書のなかに、まじないの手法を記録した極秘文書がありました。
これを解読してもらったところ、これは江戸時代中期のもので、ずっと以前のものを書き写したものと判断されました。内容は、いろんな病気をまじないで治す手法が克明に記されているほか、失せもの、失せ人、迷いごとなども解決するまじないの術が記されてありました。

この湯浅家では、大正末期まで近くの人たちの求めに応じ、まじないで簡単な病気を治していたといいます。この古文書は和紙でつづられた3冊で、子孫といえども長男以外は見てはならないことになっていたと言われています。

医王山山岳信仰の盛んであった頃の名残りとして、大変貴重な資料で、この古文書を通じて、当時が偲ばれるとともに、人間として何かに頼って生きようとする姿がうかがわれてきます。
呪者は、このほかにも二俣にもいたと言われています。






参考文献:富山県福光医王山文化調査委員会 
医王山文化調査報告書「医王は語る」


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