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クローズアップおやべがわ

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刀利ダムの建設に尽くした松村 謙三
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干ばつと水不足により小矢部川沿いでは水の争いが繰り返されていました。農民の止むに止まれぬ争いに心を痛めていた松村は、大正7年(1918)町議会議員のとき、小矢部川の源流を調査し、ダム建設に志をいだきました。
ダムの建設が決定すると、湖底に沈むこととなる刀利集落では、田畑を耕し林業で生計をたてていた人々のもうれつな反対運動が起こりました。
松村はみずから何度も足を運び、ダムの必要を説きました。松村の熱意に対してついに刀利の人々はダムの建設に同意したといわれます。
ダムは50年近い歳月をかけての構想が実現し昭和42年(1967)に完成しました。
ダムのかたわらには松村謙三の胸像が建立されています。 |
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遺跡と小矢部川 |
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福光では先土器時代から縄文時代全期にわたるとても古い遺跡が多く発見されています。 狩猟民族であったため、川に近く飲料水、魚類など食べ物がとりやすかったからだと考えられます。
小矢部川流域で発見される遺跡のなかで最も古い時代の遺跡は立野ヶ原や人母など丘陵地に多く見られます。縄文時代晩期、弥生時代は小矢部川中流に多く分布しています。
山から平野へ水が流れ出るふもと部分に人が住み始め、次に水がよく流れる平野部分に人が住み着いたということが分かります。
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