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今回のいいとこみっけ

"昭和二十年四月、棟方志功は福光町に疎開。ここから六年半、棟方は福光で暮らすこととなる。"
生誕100年を迎えた今年、福光では棟方にまつわる様々な催しがあります。棟方がいた頃の風景を今に残す福光に来てみませんか?

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[棟方志功展]
 

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棟方志功生誕100年イベント
生誕百年記念「棟方志功展」
場所:福光美術館
とき:平成15年6月21日(土)〜7月27日(日)
◆月曜日休館(ただし7月20日からは休まず開館)
◆午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)

観覧料:一般700(560)円/大学・高校生500(400)円/中学生以下は無料、(  )内は20名以上の団体料金
二館共通券:一般共通券1,050円/大学・高校生共通券750円

板画の代表作を中心に、油彩画や倭絵(肉筆画)、書、陶芸などの作品約100点を展示して、自ら「芸業」と呼んだ棟方志功の幅広い創作活動を展観します。


「棟方志功展」は、こんなに見所満載の展示会です!
ムナカタ板画を総覧
〜代表的な板画作品の数々〜

《大和し美し板画巻》《華厳譜》《東北経鬼門譜》《二菩薩釈迦十大弟子》《鐘渓頌板画巻》《華狩頌板壁画》《弁財天妃の柵》など、棟方志功の語るうえで欠かせない代表的な板画作品の数々を一堂に会して、棟方板画の全貌を紹介します。
大和し美し板画巻
倭建命の柵
(←)1936年


弁財天妃の柵 1965年 (→)
二菩薩釈迦十大弟子 屏風六曲一双 1939年(↓)


華狩頌板壁画 1954年


鐘渓頌板画巻・若栗の柵
1945年

棟方志功が人を惹きつけて止まない魅力は、作品のダイナミックな造形力もさることながら、創作に対するひたむきな態勢や、生命を讃え、その美を探求し続けた真摯な人間性にもあるといえましょう。
 志功は、「板の生まれた性質を大事にする」「板の命を彫り出す」として自らの版画作品を「板画」と称し、版画を"刷り"による表現としてだけでなく、"彫り"による表現ともとらえました。その純粋な制作への衝動は、それまでの版画表現の常識を覆すような独得のエネルギーと精神性に溢れた作品となり、時代を越え、国境を越えて人々に感動を与え続けています。
ゴッホをめざして画家の道を志し、他に類をみない独自の芸術世界を築き上げた棟方志功は、20世紀の日本美術に大きな足跡を残した偉大なアーティストであったと言えます。

この展覧会では、棟方志功の初期から晩年までの作品を総覧してその画業を顧みると同時に、一途に仕事に打ち込んだ"人間・棟方志功"の姿を浮き彫りにしていきます。



「板画」芸術の原点
釈迦十大弟子の板木を初公開

これまで門外不出となってきた板木(版木)を今回初めて公開し、志功が「板の生命を彫り起こす」と表現した板画芸術の原点をじかに鑑賞します。戦前の板木のほとんどが戦災で消失した中で奇跡的に残った代表作《釈迦十大弟子》や、板面の粗々しい鋸目を作画に活かした《道祖土頌》の板木を展示します。

板木:1939年   (→)
釈迦十大弟子・目建連の柵
志功の中のゴッホ
〜油彩への思い〜

「わたばゴッホになる」と油彩画家を志し、青森時代に風景を描いた《雪國風景図》や、晩年、まさにゴッホを連想させるひまわりを描いた《太陽花シリーズ》、志功の油絵への思いをたどります

雪國風景図 1924年頃

太陽花シリーズ・黒図
1972年

ふるさと青森への思い 〜大型絵巻《禰舞多運行連々絵巻》の原本初公開〜
"世界のムナカタ"になって以降も、志功はふるさと青森にいつも特別の思いを寄せていたました。ねぶた祭りの行列を描いた、長さ17.21m、幅0.34mの大型肉筆絵巻の原本を初めて公開します。(禰舞多運行連々絵巻 1974年)

華厳譜・風神の柵 1936年
板画1点1点がオリジナル
〜彩色や表装の違いに見るムナカタ板画〜

棟方板画は板による絵画表現といえるものであり、同じ板木から刷ったものでも1点1点がオリジナル作品とみることもできます。墨刷りの作品と彩色が施された作品を比較したり、また、額装・軸装・巻子装・屏風装など多様な表具形式を比較してその特色を探ります。
善知鳥板画曼荼羅
1938年(左)

善知鳥板画巻
1938年(右)

幅広い芸業
〜倭絵・書の作品〜

志功は、自ら「倭絵」と呼ぶ、墨や日本画の岩彩を用いて描いた肉筆画や、書の作品も数多く残しました。このほかに絵付けをした陶器など、志功の幅広い表現世界を紹介します。

生誕100年に合わせてアメリカでも大回顧展が開かれるなど、"世界のムナカタ"を再評価する機運が国内外で高まっています。
 この展覧会は、棟方志功のご子息・棟方令明氏の監修のもと、生誕100年を記念するにふさわしいスケールの大きな展覧会となります。

「棟方志功」ってどんな人?
棟方志功は、明治36年(1903年)9月5日、青森市で鍛冶屋を営む棟方幸吉・さだの三男(9男6女)として生まれました。幼い頃から弱視というハンディがありましたが、周囲から「絵馬鹿」と呼ばれるほど絵を描くのが好きな子供でした。尋常小学校卒業後、家業を手伝い、また青森地方裁判所の給仕などをしながら油絵を独学します。雑誌で見たゴッホの作品に衝撃を受けて本格的に画家を志し、大正13年(1924年)に上京。毎年帝展に油絵の出品を重ねますが落選し続けました。帝展に油絵が初入選した昭和3年(1928年)同郷の下沢木鉢郎の紹介で平塚運一と出会い、版画をはじめます。
 そして第11回国画会展に《大和し美し板画巻》を出品。柳宗悦をして「国展に化け物があらわれた」と言わしめるほどの衝撃を与えました。柳宗悦・河井寛次郎・濱田庄司など民芸運動の人々との出会いは、棟方の世界を一段と飛躍させていきます。
 昭和13年(1938年)35歳の時、第2回新文展に《善知鳥板画 茶羅》を出品し、官展への版画の出品作として初めて特選を受賞。戦後も名作を次々に発表し、昭和30年(1955年)ブラジルの第3回サンパウロ・ビエンナーレ版画部門で最高賞、また、翌年イタリアの第28回ヴェネツィア・ビエンナーレ版画部門で国際版画大賞を受賞。ムナカタは日本のみならず世界各国で高い評価を受け、昭和45年(1970年)には文化勲章を受章しています。そして昭和50年(1975年)72歳で亡くなるまで旺盛な制作活動を続け、比類なき棟方芸術を創出しました。

棟方志功は青森市に生まれ、十八歳の時に雑誌「白樺」に載ったゴッホの「ひまわり」を見て、「ゴッホになる」と画家を志した。大正十三年(二十一歳に上京。昭和三年に五回目で初入選。同年平塚運一と出会い、版画を始める。昭和六年頃から福士幸次郎、佐藤一英、会津八一ら文人との出会いが始まる。
昭和十一年に「大和し美し」を出品し、民藝の柳宗悦らを知る。
昭和十三年に光徳寺先代住職の高坂貴昭氏が雑誌「白樺」の縁で、棟方は福光を訪れている。その後も毎年のように福光へ足を運んでいる。
昭和二〇年四月に福光町へ疎開。この年の初めに福光を訪れ、棟方は戦争疎開について、高坂貴昭氏、松井寿美子氏を前に「青森からも来るようにいってくれますが、故郷に醜をさらしたくありません」と語る。二人は「どうぞ福光へいらして下さい」と誘って、斎藤氏が
荷造りを手伝う。棟方は「あれよ、あれよといううちに福光行きが決まってしまった。」と言っている。
前述の文人や柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司、そして福光での浄土真宗他力など多くの出会いと勤勉さでダイナミズムとも言える独自の板画を生み出し、世界の棟方になった。
本展は棟方生誕百年を記念して開催し、最初期から最晩年までの板画の代表作、倭絵、書、陶芸を展示する大規模な展覧会。全国六都県を巡回し、とくに棟方と縁のある富山では福光美術館と高岡市美術館で同時開催。
福光では『福光での頂きもの「心」と展開』をテーマに、福光時代とその影響に焦点をあてて紹介する。両館あわせて人間棟方志功の魅力と画業を総覧することができる展覧会である。


主催 福光美術館・高岡市美術館・NHK富山放送局・NHK中部ブレーンズ・北日本新聞社
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