棟方志功画伯は終戦直後の足かけ7年間(昭和20年〜27年)の福光町での疎開生活中、数多くの作品を残しています。40代の芸術家。版木も思うように手に入らない苦しい戦後の生活でした。 棟方志功と福光とのふれあいを感じ、知らなかった棟方志功に思いをはせてみませんか?
福光町民の翼 (2002.06) 福光町合併50周年記念 (2002.05) いいとこみっけ
鯉雨画斎の物語を開いてみて下さい。 そこには、知らなかった棟方志功が居ます。(隣の赤い○をクリック ) 鯉雨画斎には多くの物語があります。 その当時、玄関先からは田園が一面に広がり、桑山や光徳寺が眺められた…。棟方志功はこの風景をとてもよろこんだ。 棟方志功は疎開して1年が経過した21年12月愛染苑(谷崎潤一郎命名)を建てる。建前の祝膳に金がないので鯛の絵を大皿にのせて馳走とした。当時、名もない画伯のように思えていた大工たち、もらった人は殆ど粗末に扱い現存するものはないという。