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棟方志功画伯は終戦直後の足かけ7年間(昭和20年〜27年)の福光町での疎開生活中、数多くの作品を残しています。40代の芸術家。版木も思うように手に入らない苦しい戦後の生活でした。
棟方志功と福光とのふれあいを感じ、知らなかった棟方志功に思いをはせてみませんか?
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棟方志功と福光
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「そう、この版画のように、自分の言い放題、思い放題言ったって、案外そういう僕が、今、あの目の赤い、頭の皿の
水がいっぱい、亀の子のような腹をして、小さい子供のような格好のあの河童に化かされているんじゃないかなぁ。
いや化かされたっていいですよ、そんな、うん。ねえ、いい気持ち、仕事も話もできたんですもの、ありがたいと 思わなくちゃ。うん、ほんとー。ちょっとあの法林寺の鐘が鳴って、いいじゃありませんか。ここらのもやもやした
夕暮の空気をもっと穏やかにしているではありませんか。蛍も法林寺蛍というと大きい、普通の源氏蛍じゃないです ものねぇ。そういう景色の中に、あの瞞着川のそばでしゃがんでいるうちに、またひき込まれる(注=河童は人間を
川に引き込んでおしりを抜くといわれる)ような気がしますから、もうここを立ちましょう。」
まるでこの世の皆様へのお別れの言葉のようですね…。
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棟方志功最後の仕事、安川電機カレンダー「騙着川版画巻」12月の解説 宇賀田氏講演会より
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